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HOME > 社長の一言(旧常務の一言) > 2008年3月「大切にしたい、森林への想い。」
2008年3月「大切にしたい、森林への想い。」

今月19日、臨海副都心で開催された「私の森.jpオープン記念フォーラム」に当社は小間を出展しました。「私の森.jp」とは、環境ジャーナリストの枝廣淳子さんが主宰する「生活者の思いを森につなぎ、森の恵みを生活の中に取り戻して行くことを目指す」ウェブサイトです。フォーラムの最初に枝廣さんが今回サイトを立ち上げた趣旨を
話しました。以下、枝廣さんのスピーチから引用します。
(これより引用)
「昔は、人間も森をめぐる大きなつながりの中の大切なひとつの役割を担っていました。薪や炭を得るために、森の木の手入れをしましたから。でもそれは、「森を守ろう」と思ってやっていたというより、自分たちの生活に必要な薪や炭を、いまも、そしてこれから先もずっと、森からいただこう、そのための活動だったのでしょう。
山で木が育ち、それを山に住む人たちが、切ったり植えたり手入れをして、薪や、そのほか必要なものにして、町に住む人に売っていました。町の人たちは、必 要なものを山から得る代わりに、山にお金を戻していました。だから山の手入れをずっと続けることができていました。たぶん、そんなにぜいたくではなかった と思うけど、確かな、幸せな時代だったのではないかと思います。
ところが、いつのころか、灰色の男たちが、森にも町にもやってくるようになりました。灰色の男たちは、山に住む人や町に住む人の耳元に、「お金こそが大事なんだよ」「どんどん成長するべきなんだよ」と吹き込みます。
灰色の男たちの言葉に耳を傾けた人たちは、だんだんと、それまでの暮らしでは飽き足らなくなってきました。そして、「比べる」ことをするようになり ました。人と比べたり、すごく大きなものと比べて、だから自分は幸せではない、
そんなふうに思うようになってしまったのです。いつも満ち足りていない不安やいらいら、欠乏感を抱えた、そんな人たちが、町にも山にも増えていきました。
「お金こそが大事だよ」と吹き込まれて、信じてしまった人たちは、お金にならないことはやらなくなってしまいました。かつては、山でも町でも、「稼ぎ」という生計を立てるための仕事と、本当の意味での「仕事」という、役に立つことを、分けて考えていました。
もちろん稼ぎも大事だけど、本当に村のためのこと、たとえば村の道の手入れをするとか、助け合いをするとか、そういったことを大事にしていたのに、「お金こそが大事だよ」ということばを信じてしまった人たちは、稼ぎにならないことをしなくなってしまいました。
村の道の手入れをする人がいなくなり、お互いに助け合っていた暮らしもなくなってしまいました。お金がすべての価値判断になって、安ければ安いほど いい、となってしまったのです。本当は、物事を見るときに、いくつかの判断基準があるはずなのに、値札しか見ない--そういった人たちが増えていきまし た。
でも、山は、そういった変化についていけませんでした。だって、山はどんどん成長することはできないからです。山は山のペースで、自然のペースでしか成長することができません。
灰色の男たちの影響力はとても強く、どんどん成長することができない森は、見捨てられていきました。みんなが安い外材を使うようになり、薪や炭に替わって、石炭や石油やガスを使うようになって、そうやって、町の人の暮らしのなかでお世話になる機会が減るに従って、町の人たちのお金も思いも、森には戻 らなくなってしまいました。
かと言って、町の人たちの思いが、外国の森に行ったのか、というとそうではありませんでした。日本のための輸出材を伐採する現場に、人々が思いを馳せることは、
ほとんどありませんでした。薪や炭に替わった石炭や石油という化石燃料を生み出すために、何千万年も地球がかけてきた時間に思いを馳せる人もありませんでした。ただ、値札だけを見て、「安いから」「便利だから」と言って、どんどんと使うようになったのです。
それは、でも、人々が悪いと言うよりも、すべてが加速度的に忙しくなって、つねにせかされるような生活になってしまったため、立ち止まって、大切なことに思いを馳せる、そんな時間すら取れなくなってしまったからなのです。
そうして、人々の思いやお金は森から遠ざかってしまいました。手入れもされなくなり、木が育っても、切って使ってもらうことができない--そんな森 は、日の光も入らなくなり、虫も草も微生物も、みんな姿を消してしまいました。命の営みも、自然のつながりも、息も絶え絶えになってしまったのです。
山は、人々が来ていたころのにぎやかさや、子どもたちの笑い声を恋しく思い出し、真っ暗な中でため息をつきました。山の人たちも、炎天下の下草刈り や間伐は確かに大変だけど、でも自分が育てた木を切って、そして町の人たちが使ってくれる、その誇らしさと喜びを思い出して、ため息をつきました。
町の人たちも、自分たちがお金やスピードや効率の代償に何を失ったのか、それすらわからないいら立ちを感じ、どうやったら、時間を止めどなく切り売りするようなこの生活から、本当に地に足をつけた、幸せと自分自身を実感できる生活に変えられるのだろう……そんな思いでため息をついています。
でも、明けない夜はない、といいます。「冬来たりなば春遠からじ」。
そう、そのような、森にとっても、森に住む人たちにとっても、町の人たちにとっても、本当には幸せではなかったかもしれない、そんな時代から、少しずつ、いろいろな変化の兆しが出てきている--それが「今」ではないかと思うのです。(ここまで引用)
私は、このスピーチを聞いていて思いました。この考え方こそが、木材業界にいる者として背骨になるべき、基本的な考え方ではないだろうかと。
枝廣さんのスピーチの中にあるように、山は山のペースでしか成長できません。私たちの生活は、近い将来「植物のペース」言い換えれば「森林のペース」に合わせざるを得なくなるのではないでしょうか。
化石燃料や金属は何万年という歳月をかけてできてきたものです。今の時代は化石燃料や金属を湯水のように使う文明ですから、未来に向かってこのまま使い続けることは物理的に不可能です。近い将来化石燃料の生産は頭打ちになるでしょう。その時に、持続可能な資源である木材は大いに見直されるでしょうし、森林とのかかわりが改めて見直されることになるはずです。
ただし、森林なら何でもよいのではありません。持続可能な森林から伐採された木材を使うことは、森をめぐる大きなつながりの一部分として必要なことですが、持続不可能な森林から伐採された木材を使うことは、再生不可能な資源を使うのですから、石油や石炭、天然ガスのような化石燃料を使っているのとそう変わりはありません。木材業界に携わる者として、持続可能な森林と、持続不可能な森林は分けて考えるべきですし、消費者に対して正しい情報を提供するのが木材業界の「仕事」だと考えます。
木材業界で働く私たちにとって、木材の原点である森林への想いは欠かせないものです。森林への想いを広く伝えてくれる「私の森.jp」に最初から参加できたことをうれしく思いますし、短い準備期間の中で精一杯の準備をしてくれた関係者に深く感謝します。

投稿者 無垢材・造作材の木村木材工業(株) : 2008年03月31日

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