先日、法要寺の住職からマハトマ・ガンジーの言葉「明日死ぬと思って生きなさい。
永遠に生きると思って学びなさい」を教えていただきました。とてもいい言葉だと思い
ましたのでこの場で紹介します。
人の命は限りあるものです。人生を価値あるものとして過ごしたいと思う気持ちは誰にでもあります。やりたいことはやりきったと思って人生を過ごすことができれば、その人にとっては本望でしょう。前段からはやりたいことは先延ばしにせず実行するようにと
いう意思が感じられます。
しかし、この言葉の本質は後段にあります。何歳になっても学びをやめてはいけないということです。先がないからといって学びをやめるのではなく、永遠に生きると思って学ぶことが人生を豊かにするとマハトマ・ガンジーは言いたかったのだと思います。
本を読んで学ぶことも大切ですが、私は自分で行動している中で、人と対話する中で、人に教える中で学ぶもののほうが大切だと思います。本で知識を得ることはできますが、得た知識を行動して実践してみる中で得るもののほうがはるかに大きいものです。
それよりも大切なのは、人と対話する中で、人に教える中で学ぶことです。
自分と違う考え方の人と接すると気づきが生まれます。その気づきを「自分と考え方が
合わない」と切り捨てるか、「自分のためになる」と思って取り入れるかはその人の人生を
大きく変えます。
自分と違う考え方の人と接するのは少なからず苦痛を伴うものです。「この人は自分と考え方が違うな」と思えば、相手からも「この人は自分と考え方が違うな」と思われていると思って間違いありません。
だからこそ、自分と違う考え方の人と接する機会を持つことが人生において大きな意味を持ちます。自分と違う考え方の人から学ぼうという意思を持って接する機会を持ち続ければ、「永遠に生きると思って学びなさい」を実践できるのではないでしょうか。
自分と違う考え方を受け入れられるかと考えるとき、その人が今まで実践してきた内容がどうだったかが学ぶ気持ちを大きく左右します。話している内容と実際にやっていることがどれだけ一致していたか。個を優先させるのではなく公(全体の利益)を優先させて行動しているか。わずかなことの積み重ねが学びを受け入れやすくする土壌になります。
人間は自分の利益のために動くのが本質ですが、個の利益のために動くのと、公(全体の利益)のために動くのとでは大きく違います。公のために動く人と接すると多く学びが得られますし、共に高めあう関係ができて私たちの人生をよりよいものにします。
公のために動いていると思われるようになるためにはかなり崇高な精神を長期間にわたって実践し、継続することが欠かせません。私自身もまだまだその域に達しているとは到底思えませんが、少しでもあるべき姿のイメージに近づけていくために皆さんと一緒に
継続して日々実践していきましょう。
社員・関係者の皆さんにも「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい」を実践していただき、私たちにとってよかったと思える人生を過ごしていただきたいと心より願います。
投稿者 無垢材・造作材の木村木材工業(株) : 2017年03月31日
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